言わぬが花:Iwanugahana;Silence is golden

今日の日本のしきたり
言わぬが花。はっきりといわない方が味がある、さしさわりがない。一つのことについてはっきりといってしまっては興ざめになるので、黙っている方がよい。

This belief that staying quiet for the benefit of another person is possible in a society that has a long history of shared culture and language. It would be a great deal more difficult in a multicultural society where many languages are spoken.

「日本のしきたり英語表現事典」亀田尚己・中道キャサリン 著

逐語訳

相手の利益のために沈黙を守るというこの信念が成り立つとしたら、それは文化や言語を分け合う長い歴史を持っている社会の中にあってこそのことだ。多言語が交わされる多弁な多文化社会において、この信念の実現ははるかにずっと難しいことだろう。

辞書的な説明

ありのままには言わない方が、かえって奥ゆかしさもあるし、また差し障りもないということ。

「彼の名誉を守るために、そのことは言わぬが花だ」

慣用句ことわざ辞典 三省堂編修所

類句とされるもの

Speech is silvern, silence is golden.(沈黙は金、雄弁は銀)

“Sartor Resartus” Thomas Carlyle (ただし1901版において)

The deepest rivers flow with least sound.(深い河ほど静かに流れる)
/ Altissima quaeque flumina minimo sono labi.

“Alexander the Great” Quintus Rufus Curtius

本当に類句と言えるだろうか

まず「沈黙は金、雄弁は銀」は、恐らく人物評の表現であろう。自己喧伝や他人の噂など、やたらと雄弁な人間には実際のところ怪しむべき点があると思って見よ。むしろ弁舌に頼ろうとしない人物の方が信頼に足るものだから、発言において目立たぬからといって見落とすことなく注意を払え。こういった俚諺だろう。これを「言わぬが花」の類句と言えるだろうか(いや、ない)。

また「深い河ほど静かに流れる」は、やはり恐らく人物評の表現であろう。ただし「沈黙は金、雄弁は銀」とは矢印の方向が逆を向いている、という点に気を付けなければならない。寡黙な人物は単に有能さを過剰に自己宣伝しないというだけではなく、底知れぬ野心や深謀遠慮が潜んでいると思え。こういった俚諺だろう。これもまた「言わぬが花」の類句と言えるだろうか(いや、ない)。

静かで黙っている人物を高く評価する「銀」あるいは注意深く評価する「河」とあるが、いずれも「沈黙であろう/沈黙であるべき」という、主体の態度の方向付けに関する勧めを説いた俚諺とは言えない。これに対して「言わぬが花」は、口の軽い者に向かって釘を刺す俚諺と言える。従って「銀」や「河」は、必ずしも「言わぬが花」の類句と言えないとまでは断じにくいにせよ、本質的な乖離があることに留意せねばならない。

記事の着想

この記事は丸善出版「日本のしきたり英語表現事典」から着想を得た。

そのしきたりを外国語でどう説明するか?一歩踏み込んだ観光旅行者の質問に慌てぬため、通訳案内士としては目配せしておきたい一冊。

今日のグラフィック

今号はDALL-E 3に以下のプロンプトを与えて導いた。

言わぬが花。はっきりといわない方が味がある、さしさわりがない。一つのことについてはっきりといってしまっては興ざめになるので、黙っている方がよい。 アスペクト比 16:9

アイキャッチ画像に採用したグラフィックは、上のプロンプト入力から最初に得られた2点のうちの一つだ。プロンプト解釈は以下のように記されていた。

A serene Japanese garden scene symbolizing the proverb ‘言わぬが花’ (‘Silence is golden’). The setting is peaceful with a small stone bridge over a tranquil pond, surrounded by delicate cherry blossoms in full bloom. A couple is walking in the distance, with one person appearing to speak while the other gently gestures for silence, embodying the idea of unspoken beauty and understanding. The scene is imbued with a sense of calm and understated elegance, reflecting the subtle art of communication through silence in Japanese culture.

DALL-E 3

逐語訳

俚諺「言わぬが花(沈黙は金)」を象徴する、静謐な日本庭園の場面。波もない池に、小さな石橋がかかり、辺りには細やかな桜の花が満開に咲き、静かな池に小さな石橋がかかり、繊細な満開の桜に囲まれている、穏やかなしつらえ。歩く二人が遠目にあって、一人が相手に声を掛けようとしたところ、相手はソッと沈黙を促す仕草で、この語られぬ美と洞察という理念を体現している。情景には穏やかさと控えめな優雅さが隅々まで行き渡っており、その優雅さには沈黙を通じてコミュニケーションする絶妙な技量が写されている。

所見

なるほど、と思わされた。与えられたプロンプト「言わぬが花。はっきりといわない方が味がある、さしさわりがない。一つのことについてはっきりといってしまっては興ざめになるので、黙っている方がよい。」に対して、まずどのような情景を描くか、の骨格を具現化しようとしているのがわかる。プロンプト解釈を読みながら画面を観察すると

  • 日本語の俚諺であることを(与えたプロンプトには示されていないにもかかわらず)把握している
  • 人物を二人配置して、片方には「弁舌」もう片方に「沈黙」を象徴させることで対比し、どちらかに価値を置いている、という構図を用意している
  • しかも「弁舌」に口火を切らせておいて「沈黙」がそれを受けて促し返す、という時間的な構成を設けて「沈黙」の優位(金)を示している。
  • 「日本の俚諺である」という把握を踏まえて「桜」「池」「橋」などを設けるだけでなく、俚諺の勧める「沈黙」を「池(の水面の静けさ)」に、またその感性の繊細さを「桜(の花の細かさ)」に、そしてその調和ぶりを「花(の咲きぶり)」に、それぞれ託している。
  • しかも橋の高みに「沈黙」が立ち、それを「雄弁」が橋のたもとから見やる、という高さのギャップで「沈黙」の尊さに対する崇敬を示している。
  • より遠景にある「沈黙」の奥に光源があり、箸の上の「沈黙」を美しい逆行が包む。それを橋のたもとの「雄弁」が眩そうにその姿を認める視線は、画面を観察する我々鑑賞者の視線に重なっていく。

ことがわかる。どの辺までが果たして教科書データからの学習で得た所見と言えるのかしらん。

今号の「じゃない方」グラフィック

採用した版に較べて、いくつかの点で見劣りがしたので選外になったが、共通の「プロンプト解釈」から出ているようだ。

見劣りのした点は以下のとおり。

  • 「沈黙」の「沈黙」らしさが不明瞭。採用した版では「雄弁」に対して背を向けている点で明快さがある。選外作では、このあと「雄弁」に対して応答が続くかもしれない、という緩みが見える。
  • 「雄弁」の「沈黙」に対する劣位が不明瞭。まず橋の中央で対峙しており立ち位置に落差がない。しかも「雄弁」の方が上背が大きい。また服飾から「雄弁」が上背の大きな男性であり、背の低い女性の「沈黙」に向けて諭すような角度で語っており、むしろ優劣が逆転している。
  • 採用作において「沈黙」に向けて一歩踏み出すようなアクションが、やや画面内では軽はずみな印象を与える点は、画面の静謐な調和を乱している雑音とも言える。しかし徳性の優れた「沈黙」に対する「雄弁」の狼狽ぶりとして見るならば、いわば許容されるヤンチャと言える。これに対し選外作では「雄弁」は屹然と立っており、自らのプロンプト解釈「沈黙は金」に関して一貫性が低い。
  • わざわざアスペクト比を指定したのに、わざわざ左右に黒みを与えて4:3にして寄越した。何をどう過学習しているのか知らないが、プロンプトを踏まえて出力するプロセスとしては劣った結果だ。

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