前年1919-12-26、ベーブ・ルース(George Herman “Babe” Ruth, Jr., 1895-02-06 – 1948-08-16)はボストン・レッドソックスから金銭トレードで放出され、ヤンキーズがこれを獲得する。
同年8月には既に前年の自身のホームラン記録「29本」を超えていて、その様子を描いたのがこちら。
![How does he do it?](https://daily.zah.jp/wp-content/uploads/2024/01/Harding_Cox_and_Ruth-1024x917.jpg)
ルースは結局この移籍初年である1920年のシーズンを実に54本塁打(打率3割7分6厘)という驚異的な成績で駆け抜け、翌1921年から始まるヤンキーズの第1期黄金期を支える立役者となる。
1920-09-19には彼の活躍を描いたサイレント映画が公開され、それが「Headin’ Home」(註:2018年の映画「Heading Home: The Tale of Team Isreal」とは全く無関係なので注意)。
![Advertisement for the silent movie "Babe" Ruth in "Headin' Home" (1920)](https://daily.zah.jp/wp-content/uploads/2024/01/Heading_Home_1920_-_5.jpg)
広告ポスターでは控えめに撮影されているものの、レッドソックス時代以前からルースの大食ぶりは著名で、ヤンキーズ移籍後の1925年にはとうとう体重が120kg(260ポンド)に達し、不摂生が原因で大幅に体調を崩してスランプを経験した。同年中、幾度か昏倒して入院するなどしたため、一時はイギリスの新聞が誤って死亡記事を出したほどであった。
当時ルースが幾度も倒れた原因は明らかでないが、試合前のホットドッグの食べ過ぎやソーダの飲み過ぎ、アルコールの鯨飲が原因ともされ、毎年初にアーカンソー州のホットスプリングでサウナを使った体質改善を図っていたものの、結局はリゾートで遊興にふけってしまい健康に奏功していなかったとも言われる。同年末のオフには心を入れ替えて摂生に励んだらしく成績も復調している。
1948年には53歳で世を去っているが死因は悪性腫瘍(上咽頭癌、nasopharyngeal carcinoma)で、現役時代の不摂生との直接の因果関係などはわかっていない。
コメント